米国カリフォルニアとの初交信(中学3年生)

時に西暦197X年。

太陽活動は11年周期の極小期を迎え、地球の電離層の状態は
短波帯の伝播状態が最も低下、海外との無線通信は困難を極めていました。

秋になると、日曜日だったと思いますが、21MHz帯 SSBバンドで、
山のようにたくさんの人が、海外のアマチュア無線局が、
日本からコールされていました。

ウルトラマンに出て来るビーコンという怪獣を呼んでしまう周波数21MHzでした。

コンテストという無線交信の楽しみ会だったと思います。
山のように日本の人が束になって一度にアメリカの無線局を呼んでいるので
ワーンと聞こえていて、誰が呼んでいるのか、こちらでは全然復調できず。

ものは試しと、数時間、僕もコールしましたが、いつも他の人と交信に
入ってしまい、いくら呼んでも到底交信不可能に思えました。

こちらは自作の2エレ八木+10Wでした。

僕と同じに、水戸の人も呼んでいました。
「もう、いいかげん、呼ぶの諦めたら?」
・・・水戸の人はローカル局にそう言われていました。
「いいや、まだまだ。」
水戸の人は、ど根性で頑張っていました。

2時間も呼んでいるとさすがに無理そうと思え、
僕は一旦諦めました。

でも水戸の人はまだまだ頑張って、呼び続けていました。

しばらく黙って聞いていると、交信電波が聞こえない
隙間のタイミングがありました。
その瞬間に自分のコールサインを言い、送信しました。

すると、なんと、応答があり、
59とコンテスト番号3桁が応答されました。
こちらからは 59 001 を送りました。(交信局が一局目という意味)
すると、「59 001 QSL?」 と聞かれました。
僕は、
「Yes. Thank you, QSL via the buro.」と答えました。

大変興奮しました。

夜になるとローカル局が教えてくれました。
「そのQSLというのは、QSLカードを送りますか?の意味でなくて、コンテスト番号を確認しますが、これでいいですか?」
という意味なのだそうでした。

結局、QSLカードは来ませんでしたが、これが記念の海外交信の最初の記録で
伝播距離はだいたい6000km(アメリカ、カリフォルニア州)と思います。

10Wでも十分電波は飛ぶのですが、こんなふうに、日本のアマチュア局
山のように束になっていっしょに呼ぶので、海外交信は困難を極めます。
海外局には人気が集中し、競争率が極度に高いのです。